偉大なる冒険家であり、環境保護に対しても造詣の深いロバート・M・リー(通称 ボブ・リー)。ハンティング・ワールドの創設者である彼の活動、体験、全てが、現在のハンティング・ワールドの原点となっている。
 ニューヨーク州ロングアイランドに生まれたボブ・リーは、芸術性に溢れた歯科医の父と、自然に対して限りない愛を持つ母のもとで、好奇心と大自然への思いを育みながら成長した。
 ロングアイランドの田園地帯で、乗馬、射撃、フィッシングなどのアウトドアライフに身を置いていた少年時代のボブ・リー。彼は9歳の頃にフライの作り方を覚え、12歳の頃にはプロのフライタイヤーとして本格的に活躍、ライフルに関しても、10歳の頃に独自の照準システムを考案し、14歳の頃になると、最新設計の超高速ライ フルカートリッジを開発するなど、少年時代から類い稀なものづくりの才能を発揮していた。

 
 

1961年、ケニアのタナ・マルラにて。ペットのチータとボブ。

 工科大学を卒業すると、ボブ・リーは建築設計技師としてニューヨーク州の住宅区域や人工湖の建設、道路システムなど、数多くのプロジェクトを手掛け、そのクリエイティブな才能を開花させ各方面で成功を収めていた。
 1955年、そんなボブ・リーの人生に大きな転機が訪れる。それは、幼い頃からずっと心の中に抱き続けてきた夢、憧れの大地アフリカへの旅であった。ウガンダ、タンザニアと数ヶ月にも及ぶ探検旅行の中で、ボブ・リーはアフリカの雄大な光景に心を奪われることとなる。この体験は、後の彼の人生を決定づける大きな出来事で あった。そして初めてのアフリカ滞在から4年後の1959年、ボブ・リーはサファリ・ツアーをアテンドする「リー・エクスペディションズ社」をアンゴラに設立。自分を魅了してやまない愛すべきアフリカの原風景に、多くの人々を誘うこととなった。  ボブ・リーのアフリカ滞在の期間は、ふたつの点で大きな意味を持つ。ひとつはハンティング・ワールドの前身となる事業を興したこと、そしてもうひとつは、彼が後に熱心に取り組むことになる、環境保護に対する関心が芽生えたことである。
 アフリカ滞在中の10年間で、17カ国を旅したボブ・リーは、アンゴラ南東部において広大な地域の野生動物の調査を実行。野生動物の保護を行い、問題となっていた密猟の一掃に成功した。そしてこの調査をもとに、アフリカで初めての猟鳥獣類管理プロジェクトが事業化されることとなった。  この事業は現地の雇用機会の創出に繋がっただけでなく、アフリカでの同じような事業計画の模範となった。
 多くのツアー客をアフリカの大自然へアテンドし、自らも探検の中へ身を置いていたボブ・リーは、既成のアウトドアグッズでは、苛酷な自然環境に、十分な対応ができないことに気づく。
 自然環境を熟知し、自らが実践した経験をもとに、ボブ・リーはバッグやテントなど、数々のアウトドアグッズを生み出す。彼はそれを懇意にしている冒険家や、彼のツアーへ参加する人々へ貸し出し、実用性の高さから好評を得ることになった。
 ボブ・リーのアンゴラにおける生活は順調ではあったが、内戦が勃発した為サファリ・ツアーは中断を余儀なくされる。

 
 

1961年、サファリの友人たちとボブ・リー。
モザンピークのサヴェ・リバーで

 
 

標高4,880メートル。強風吹きつけるパミールの斜面。


 1965年、テロリストの活動が活発になってきたことで、ポルトガル軍から、実業家、ハンターの身の安全の保証ができないとの通達を受けたボブ・リーは、アンゴラでの事業を閉鎖し、ニューヨークへ戻ることとなった。
 生まれ故郷のニューヨークへと戻ったボブ・リーは「ハンティング・ワールド・インコーポレイテッド」を設立。生粋のアウトドアマンであるボブ・リーが体得した、冒険に必要な知識、知恵、数え切れない経験を凝縮させた本格的な製品の生産を始める。
 「考えうる最高のものを創る」というボブ・リーの哲学が細部に至るまで表現されたハンティング・ワールドのラインアップは、本物を求める多くの人々から高い評価を得ることとなった。
 そして現在、ワールドワイドなブランドへと成長した今も、冒険と自然を愛するボブ・リーの思いは、その製品ひとつひとつに受け継がれている。

 
 

1981年5月22日。中国パミール山中でついにマルコ・ポーロ・シープを発見した。記念すべき歓びの日。背景はソビエト国境。

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